最適解とは思えないけど、一つの正解かもしれない。

 

だから山谷はやめられねぇ―「僕」が日雇い労働者だった180日

だから山谷はやめられねぇ―「僕」が日雇い労働者だった180日

 大学院に籍を置きながら、山谷や飯場で働いた作者のルポルタージュ格差社会の底辺に属すると思われる肉体労働者の生活と価値観を、少し引いた視点で描く(著者には大学院という帰る場所があるので)。山谷や飯場で働く彼らには、帰る場所も無く、代替可能で、使い捨ての労働力として使われる身であり、何の保証もない。仕事しない時は酒飲んでギャンブルして、それでも働く時はキッチリ働く(ただし生活に必要な日数だけ)。このままの生活を続けても、今の正確レベルから抜け出すことは出来ないかもしれないけど、物質的な欲望が高くないのであれば、現代の晴耕雨読ともいえる彼らの生き方のほうが幸せなのかもしれない。
 ちなみに、現在の著者はこんなことをしているらしい。
http://www1.odn.ne.jp/tsukageki/index.html