萌える男

 バブル期に構築された「恋愛」を商品として消費する「恋愛資本主義」という価値観。恋愛とセックスがポップ化し、その重さが限りなくゼロに近づいていく。その代替として見直されたのが「純愛」である。しかし、現代に純情な男はもう存在しない。その担い手となるのが「萌える男」であるが、彼らは恋愛資本主義という社会の一員ではなく、自身ために消費する。したがって、恋愛を売り物とする恋愛資本主義の旗手であるマスコミにとっては都合の悪い存在であり、忌み嫌われ、悪いイメージを与えねばならない存在でもある。
 しかし、「萌える男」は空想力に富み、誰かを傷つけることもなく、自身を癒すことさえできる優しい人間である。「萌え」を現実世界からの「逃避」と定義し断罪するのではなく、「救い」「癒し」と定義し社会が受け入れた場合、新しい社会構造が生まれるのではないだろうか?
 「萌え」は総ての人間にとって必要な能力であり、萌える男=オタク(自分より下層だという軽蔑的な意味)という定義は本来はおかしいのかもしれない。「萌え」は総ての人間が持つべき思想であり、「萌え」の存在価値が認められたとき、社会は「萌え2.0」となるかもしれない。

萌える男 (ちくま新書)

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